明治時代、尋常小学校を卒業すると、高等小学校へ進学をして勉強をするという制度でしたが、貧しい家の子は奉公に出たり、家業の手伝い、あるいは女の子でしたら商家や裕福な家の子守として奉公に行き、尋常小学校だけで終わる子も多くいました。特に農村部が多く、地域差がありました。高等小学校に上がると、服装が大きく違い、尋常小学校では着の身着のままで学校に行き、磨り減った藁草履で走り回ったものですが、高等小学校では羽織袴で登校し男子は帽子をかぶりました。先生は背広にネクタイの洋装姿で登校する先生もありましたが、袴で登校する先生もいました。
明治時代、男子は大学で勉強をし、女子は女学校や、教員を要請する師範学校で勉強をしました。男子の通う大学として、帝国大学を設立されました。設立された目的は、江戸時代の鎖国政策の影響で文化的に遅れている西欧に近づけるため、明治政府が実施した富国強兵制作を教育をするというものでした。エリート中のエリートと言われる男子学生が帝国大学で西欧文化の勉強をしたのですが、授業で使われるすべての教科書が外国語のため苦労した記録が残されています。そのため、入学前に外国語を覚える必要があるということから、旧制高等学校である「外国語学校」が設立されています。
一方、尋常小学校すらまともに卒業出来ずに奉公に出る子供は、奉公先から夜間に週何日と決めて通学し、月に幾日かを小学校に出席することで、尋常小学校の卒業証書をもらえるよう配慮された制度がありました。義務教育だけは卒業させようという目的の制度で、適用されるのは主に男子の場合でしたが、しかし世界的にも日本人の識字率が高いと言われる要因の一部ともなっています。