日本の教育と勉強の歴史 

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明治時代の女子の教育の主流となったもの

明治時代の女性の教育の主流は、良妻賢母を育てるというものでした。男は外で働き女は家を守る、これが一般的で、そのために女性には学問は必要でないと言う風潮がありました。明治時代ばかりでなく、昭和になっても続いていましたし、男尊女卑の影はまだ残っていました。「家を守る」、これは掃除、洗濯、料理、を完璧にこなし、家長である夫に従い、逆らわず、という、まったく男性に都合のいい教育が行われていましたし、無学な女性はそれを当然の事として受け入れていました。
「男女7歳にして席を同じゅうせず」の言葉にあるように、小学校を終えると男女共学でなく、女子は女学校で勉強しました。女学校では知識よりも、裁縫や料理など家事一般の躾が目的で行われていました。いわゆる花嫁学校と化していました。明治時代には「いいなづけ(許婚者)」といって、双方の親が当人達の幼い頃から結婚する相手を決められている人もいました。決められている許婚者がたとえ気に入らなくても、親に逆らえず泣く泣く結婚した女性も多く、現代では考えられない昔の習慣ですが、「家」と言う名のもとに逆らうことは許されませんでした。
義務教育を卒業して女学校に通える人は少なく、良家の子女や富裕の家の限られた子女だけでした。女学校での教育も、男性の言うがままになる、男性にとって都合のいい教育が明治時代にも続いていました。学問に熱中する女性は忌み嫌われたものでした。「女さかしゅうして、牛売り損なう」などということわざもありますが、意味は、その家でなまじ女が賢いと、牛を売り損なう、つまり家が損をする、繁盛しないというもので、男尊女卑をそのまま表しています。教育程度の低い時代の女性の悲劇といえますが、その悲劇は明治以降も続きます。


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