大正時代の尋常小学校では、1、2年だけを共学として、3年生以降は男女別学としていたのが当時の教育制度です。「男女7歳にして席を同じゅうせず」と、学ぶ場所が違うばかりでなく、男子と女子とでは勉強をするカリキュラムも教科書も全く別な物を勉強していました。それは、各学校に公立、私立の区別なく義務付けられていましたので、戦前の日本には高等教育の男女共学校は存在しませんでした。
農村の子供たちや貧しい家庭では、尋常小学校を出るとすぐ働きに出て家を助ける子供が多く、高等小学校に通えるのは恵まれた家の子供たちだけでした。高等小学校で教えるのは、そろばんや簿記、など実用的な教科が多く、商店などに勤めたい子供たちが通いました。
中学を卒業すると、高等学校や私立大学予科、大学などに進学し勉強を続けましたが、進学できる学生はというと、やはり華族や富裕層の恵まれた家庭などの師弟だけでした。学生は、国策に基づいた教育が色濃いなかでの勉強で、精神や肉体を厳しく鍛えられました。また、服装においても陸軍の軍服をもとにつくられ、詰め襟の洋服である学生服が制服として着用させられました。